2006年10月14日

飯田城の歴史 〜概要〜

飯田城が現在の位置へ移ったのは、今から約780年前の坂西(ばんざい)氏の頃で、三宜亭本館辺りに本丸が築かれました。

その後、毛利氏、京極氏、小笠原氏と戦国と動乱の中で、城或いは城下町を改修し、江戸時代的な城郭、町屋を完成させたのは脇坂氏の頃です。

長姫神社(おさひめじんじゃ)一帯に本丸、三宜亭本館辺りには山伏丸、美術博物館辺りが二の丸、中央図書館辺りに三の丸、そして合同庁舎近辺に桜丸として、町との堺には堀を設けました。それが現在の銀座通り(堀端)です。

城は明治4年に取り壊されるまで堀氏12代まで続きました。

長姫神社は別名「御三霊様」と呼ばれ、堀氏の先祖 久太郎秀政(ひでまさ)、親良(ちかよし)、飯田堀氏の初代親昌(ちかまさ)を祭ったことからこの名があります。

飯田城の歴史を振り返ると日本史に名を残すような卓抜した武将も、又、川中島のような戦いも無く、戦国の世には常にある家督争いの紛争は繰り返してはいたが、比較的平穏な山村であったと思われます。

唯一、鈴岡城の攻防、松尾城・神の峯城の戦い等、武田家統治下の二十数年間が歴史の中では一番興味のある処と言えます。

尚、堀家12代目の親広(ちかひろ)が江戸へ引き上げ、江戸屋敷である音羽御殿に入り、後に田中角栄邸となり目白御殿として世に君臨します。
posted by 三宜亭本館 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯田城 歴史探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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