2006年10月14日

飯田のまちと飯田城

飯田のまち(長野県飯田市 旧飯田町)は、「丘の上」とよばれます。それは、このまちが中央アルプス(木曽山脈)の南はし、風越山のふもとに広がる段丘上にあって、東側を流れる天竜川の支流――松川・野底川によって両側を深くえぐられた高台となるからです。ですから、眺めがよく、遠く天竜川の向こうには伊那山脈と南アルプス(赤石山脈)を望むことが出来ます。

飯田は、かつて「小京都」ともたたえられた山都でした。そして、飯田下伊那地方の中核をなす都市として、政治ばかりか経済や文化においても、大変栄えてきました。その最大の理由は、ここに飯田藩の拠点である飯田城と、幕府領の千村飯田役所があり、城下町が商工業都市として発展したからでした。

ところが、明治時代になると、飯田藩が廃止されて飯田県(後に伊那県)が誕生し、飯田城は廃城となって門や建物・石垣は取り除かれ、堀も埋められて、立木も切り払われました。城下町の町並みも、新しい道路がつくられたりして、次第に姿を変えていきました。

さらに1947年(昭和22)4月20日の大火によって、町の大半を焼失し、その後、新しい都市計画に基づいて防火モデル都市として復興したものの、町の様子は以前とはすっかり変わってしまいました。そのため今日では、かつてこのまちに飯田城があり、城下町として栄えたことすらあまり知られていません。

しかし、気をつけてみると、あちこちに飯田城と城下町の面影が残っています。

【飯田城ガイドブックより】
posted by 三宜亭本館 at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯田城 歴史探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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