2006年10月14日

明治時代の飯田城

1869年(明治2)、版籍奉還が行われると、12代堀親広は知藩事となりました。ついで、1871年(明治4)7月、廃藩置県となり、飯田藩が廃されて飯田県が生まれました。明治新政府から東京移住と廃城を命じられた親広は全てを始末して9月23日に飯田を去り、それと前後して飯田城の取壊しが急ピッチで行われました。

11月には飯田県は筑摩県に統合されました。1872年(明治5)1月には、元飯田藩士にそれぞれの居住地が払い下げられ、2月には隠居の11代堀親義も松尾久井に移りました。2月11日には、兵部大輔山形有朋の命令を受けて、上田鎮台(東京鎮台第二分営)から山形頼介が飯田城郭の受取りに来ました。そして、桜丸に筑摩県の出張所がおかれたのです。

その後1876年(明治9)になると、筑摩県は長野県に統合されました。このとき、飯田城跡を公園にする計画が出されましたが、ついに実現することはありませんでした。

明治時代初期における激しい破壊や変化は、飯田城だけでなく、堀氏に関係深い普門院や他の堂寺、更には神社にも及びました。

【飯田城ガイドブックより】
posted by 三宜亭本館 at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯田城 歴史探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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