飯田城の歴史をみると、武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった、日本の歴史上で大変有名な武将たちの名前が登場します。彼らは、この伊那郡の支配をめぐって争い、そして有力な家臣を飯田城において治めさせたのでした。それは、当時この地がいかに重要だったかを物語っています。
飯田は信濃(長野県)や東日本への玄関口にあたり、伊那谷は西日本と東日本のほぼ中間にあって、両者をむすぶ回廊の役割を果たしてきました。それは戦国時代や江戸時代に限らず、古くは縄文時代から弥生・古墳・奈良・平安時代、中世についても同様でした。
また、天竜川の東西に南アルプス(赤石山脈)・伊那山脈と中央アルプス(木曽山脈)がそびえて山深い伊那谷は、豊かな森林資源を持つ、大変重要な地域でした。江戸時代のはじめには榑木成村(くれきなりむら)といって、年貢を米ではなく、材木(榑木)で納めた村々があったほどです。
【飯田城ガイドブックより】
2007年03月18日
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