
飯田城は、各曲輪の入口に枡形がつくられています。枡形には、曲輪の外にある「外枡形」と、内にある「内枡形」の二種類がありますが、飯田城では、二の丸・出丸・本丸への入口が外枡形であるのに対して、城内(三の丸)への入口にあたる追手門・不明門は内枡形、また城下町への出入口3ヶ所(伝馬町・土井・箕瀬)内枡形でした。
こうした曲輪と枡形が発達した形は、織田信長・豊臣秀吉によってつくりあげられた
“織豊系(しょくほうけい)
城郭プラン”の特徴です。特に三の丸の鐘の門から二の丸御門にいたる間や、二の丸から本丸御門にいたる間のように、外枡形が連続する形は文禄・慶長の役(1592・1597年)以降の特徴といわれています。飯田城はその典型といってよいでしょう。
posted by 三宜亭本館 at 08:39|
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飯田城 歴史探訪
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